「ケセラセラ」というフレーズは、日本でもよく耳にしますが、元々は英語圏で広まった表現です。
とはいえ、英語圏の人々に「ケセラセラ」と言ったら通じるのでしょうか?
この記事では、「ケセラセラ」の意味や、英語でどのように表現するか、さらには英語圏での認知度について詳しくご紹介します。
Contents
まずは確認!「ケセラセラ」の意味とは?
「ケセラセラ」という言葉の本来の意味について、まずは理解を深めましょう。
日常生活でよく耳にするこのフレーズは、どのようなニュアンスを持っているのでしょうか?
「なるようになる」という意味
「ケセラセラ」は、「なるようになる」という意味です。
この表現は、未来の出来事をあまり深刻に考えず、成り行きに任せる姿勢を示しています。
難しい問題に対して心配せず、状況に身を任せるというポジティブな姿勢が込められています。
未来を楽観的に受け入れる表現
「ケセラセラ」は、未来を楽観的に受け入れる表現としても使われます。
まだ見ぬ未来について悲観するのではなく、「何とかなるだろう」と前向きに捉える心構えを示しています。
この楽観的な考え方が、多くの人に親しまれている理由の一つです。
「ケセラセラ」を英語で表現すると?3つの表現をご紹介!
では、「ケセラセラ」を英語で表現する場合、どのようなフレーズが適しているのでしょうか?
ここでは、英語圏で使われる3つのフレーズをご紹介します。
「What will be, will be」
ケセラセラの最も直訳に近い表現は「What will be, will be」です。
直訳すると「なるようになる」となり、まさに「ケセラセラ」と同じ意味合いを持っています。
これは、日常会話でも比較的理解されやすいフレーズです。
「Whatever happens, happens」
ケセラセラのもう一つの表現は「Whatever happens, happens」です。
このフレーズは、「何が起こっても、それが起こる」と訳すことができ、「どんな結果であろうとも、それが現実である」という意味で使われます。
こちらも「ケセラセラ」と同様の意味合いで使われることがあります。
「It is what it is」
さらに、「It is what it is」という表現も紹介しておきましょう。
このフレーズは、「それはそれだ」という直訳になり、意味的には「現実をそのまま受け入れる」というニュアンスです。
どんな状況であっても、それ以上深く考えずに受け入れるという姿勢が表れています。
「ケセラセラ」は英語圏で使われているのか調査した結果…!
「ケセラセラ」という表現は、実際に英語圏でも使われているのでしょうか?
ケセラセラの使われ方や認知度について調査してみました。
一般的にはあまり使われない
結論から言うと、現代の英語圏では「ケセラセラ」という表現は一般的に使われることは少ないです。
特に日常会話の中で耳にすることはほとんどありません。
多くの人がこのフレーズを知っているわけではないため、注意が必要です。
映画や歌の影響で一部では知られている
1950年代に公開された映画や、その中で歌われたテーマソング「ケセラセラ」の影響で、特に映画ファンや年配の人々の間ではこのフレーズを知っている人もいます。
しかし、それでも現代の若者の間ではあまり知られていないことが多いです。
「ケセラセラ」の起源と由来について
次に、「ケセラセラ」の起源について掘り下げてみましょう。
実は、「ケセラセラ」は元々スペイン語やイタリア語の表現から派生したものでした。
スペイン語とイタリア語の表現から派生
「ケセラセラ」は、スペイン語の「Que sera, sera」やイタリア語の「Che sara, sara」から派生した表現です。
どちらも「なるようになるだろう」という意味で、未来の不確定さを示しながらも楽観的なニュアンスが込められています。
「Que sera, sera」が正確な綴り
「ケセラセラ」のフレーズは元々スペイン語で「Que sera, sera」と書きますが、英語圏で使われる場合は発音に基づいて「ケセラセラ」と表現されることが多いです。
実際には、正確なスペイン語の綴りが「Que sera, sera」であることを知っておくと役立つでしょう。
映画『知りすぎていた男』で広まった「ケセラセラ」
「ケセラセラ」が英語圏で広まった大きな理由の一つが、1956年に公開された映画『知りすぎていた男』です。
この映画で使われた楽曲がきっかけとなり、英語圏でもこのフレーズが認知されるようになりました。
ドリス・デイが歌ったテーマ曲として有名
映画『知りすぎていた男』の中で、ドリス・デイが歌ったテーマ曲「Que Sera, Sera」が非常に有名です。
この楽曲が映画と共にヒットし、「ケセラセラ」というフレーズも多くの人々に知られるようになりました。
1956年に公開されたアルフレッド・ヒッチコックの映画
『知りすぎていた男』は、1956年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画です。
この映画自体も非常に人気がありましたが、特に主題歌「ケセラセラ」は多くの人々に愛され、時代を超えて歌われ続けています。
英語圏での「ケセラセラ」の使われ方と認知度
現在の英語圏では「ケセラセラ」はどのように使われているのでしょうか?
実際の使われ方や認知度について見ていきましょう。
古い映画ファンに知られている表現
「ケセラセラ」は、特に古い映画ファンの間で知られている表現です。
1950年代から1960年代にかけての映画を好む層や、音楽ファンの間で「ケセラセラ」というフレーズが語られることがあります。
しかし、若い世代にとってはあまりなじみのない表現です。
カジュアルな会話ではほとんど使われない
現代の英語圏では、日常会話の中で「ケセラセラ」というフレーズが使われることはほとんどありません。
多くの人が知っているわけではなく、むしろ古風な印象を与えることが多いです。
そのため、特定の場面で使うことは避けた方が無難かもしれませんね。
「ケセラセラ」を英語で言うとどうなるかについてまとめ
「ケセラセラ」は「なるようになる」という意味を持ち、未来を楽観的に捉える姿勢を示すフレーズです。
英語圏では、「What will be, will be」や「It is what it is」といった表現で同様の意味を伝えることができますが、日常会話で使われることは少ないです。
また、この表現の起源はスペイン語やイタリア語にあり、映画『知りすぎていた男』の主題歌として一部で知られていますよ。
全体的に、現代の英語圏ではあまり使われないものの、古い映画ファンや音楽愛好者には一定の認知度がある表現だと言えるでしょう。